エルサ・ペレッティ

1974年にティファニーに加わったエルサ・ペレッティは、ジュエリー デザインの世界に衝撃を与えました。初めてのコレクションは発表の当日に完売。一夜にしてシルバーをラグジュアリーなジュエリーへと引き上げたのです。デザイン界の真のパイオニアと言える彼女のユニークなデザインは、前例のない有機的な美的感覚が特徴です。卓越した技巧で高く評価されるエルサ・ペレッティのコレクションの一つに、ダイヤモンド バイ ザ ヤード™があります。繊細で流れるようなチェーンとベゼルにセットされた、きらめくストーンの絶妙なコンビネーションは、ファッション界に一石を投じました。ジュエリーに対する意識を永遠に変えたエルサ・ペレッティ。彼女が残した伝説は、これからもインスピレーションの源であり続けます。


「私はエルサの壮麗なデザインにこれまでずっと刺激を受けてきました。彼女のデザインはオーガニックでセンシュアル。生命が宿っていることが感じ取れるのです。」

— ヒロ、伝説的な写真家でペレッティの生涯のコラボレーター

アイコンの誕生

イタリアのフィレンツェで生まれ、ローマとスイスで教育を受けたペレッティは、インテリア デザインの学位を取るために最終的にローマに戻りました。1969年まで、彼女はニューヨークとバルセロナでファッションモデルとして活躍し、その頃にオリジナル ジュエリーのデザインを始めます。そして、米国のファッション デザイナーであるジョルジョ・ディ・サンタンジェロが、彼女の作品をファッションショーで起用すると、すぐさま多くの称賛がペレッティに寄せられました。ちょうどその頃、彼女は伝説的なデザイナーであるホルストンと出会いました。彼は彼女の長きにわたる友人となり、多くのコラボレーションが生み出されました。 

デザインのパイオニア

ボトルやオープン ハート、ビーン デザイン、ボーン カフなど、数々の名コレクションを10年にわたり発表し、ジュエリー デザイナーとして成功をおさめたエルサ・ペレッティ。1980年代には彼女のコレクションにチャイナやクリスタル、シルバーなどのホームデザインが加わりました。新たなホーム デザインも、彼女のデザインするジュエリーのように、滑らかな形状や柔らかな感触によって賞賛されています。それらは生活への慈しみ、おもてなしの心の温かさ、美しさと実用性が常にともにあるべきだという考えを巧みに表現しています。

「感触は重要です。私はものに触れることで、様々なインスピレーションを得ています。」

 — エルサ・ペレッティ

時代を超越したレガシー

彼女の目覚ましい功績を称えて、ティファニーはファッション工科大学(FIT)のジュエリー デザイン学科に「エルサ・ペレッティ プロフェッサーシップ」を設立し、FITで史上初の寄付基金教授職を設置しました。2001年、ペレッティはFITより名誉美術学博士号を授与されました。

 

1971年にはコティ・アメリカ・ファッション批評家賞のジュエリー賞を受賞、1981年にはロードアイランド デザイン学校校長賞を受賞しています。1996年、カウンシル オブ ファッション デザイナーズ オブ アメリカは、ペレッティを「デザイナー オブ ザ イヤー」に選出しました。エルサ・ペレッティのデザインの数々は、ロンドンの大英博物館、ニューヨークのメトロポリタン美術館、マサチューセッツ州のボストン美術館、テキサス州のヒューストン美術館において、常設コレクションとして展示されています。 

 

何十年にもわたり、そのスタイルや美しさを維持できるデザインはほとんどありません。しかしペレッティのデザインは、現在も今まで以上にモダンなものであり続けています。